わたくし、久しぶりに東京・渋谷へ行ってきました^_^
東京なんて年に数回行くか行かないくらいのものですから、行くたびに手探り状態で、目的地までたどり着くのに緊張しっぱなし(汗)
しかし、今回渋谷を歩いていて思ったんですけれど・・・都会のど真ん中でありながら、ほとんどが坂道じゃないですか?渋谷ってどこ歩いていてもそうですよね。
え?まさか、山じゃないよね^^;
そこで田舎者の私はとっても気になり、渋谷はなぜ坂が多いのか、地名の由来や歴史などについて調べてみることにしました♪
渋谷はなぜ坂だらけ?!
渋谷を歩いているとどこもかしこも坂だらけ!刺激的な街だけど、旅行者にとってはけっこうキツい場所なんじゃないでしょうか。
これは渋谷という街が、「谷底の街」だから。武蔵野台地を侵食する渋谷川と宇田川の合流地点に位置する場所なんです。
勾配が厳しいので、地下鉄の銀座線は地上へ出てしまっていますし、渋谷マークシティなんかも1階の出入り口がありながら、なんと4階からも出入りができるほど(谷の上の方ってことでしょうかね)・・・恐るべし、渋谷の地形(汗)
そして道玄坂、宮益坂、金王坂、八幡坂、などなど「坂」のつく地名が多いのも納得ですよね。
渋谷の歴史や地名の由来とは
渋谷には有史以前の遺跡が30箇所くらい発見されているらしいですが、当時の渋谷は台地部分が海面から少し頭を出していた程度。
海面から出た陸地の部分で人は生活していたということです。
「渋谷に遺跡」っていうのがなんともギャップがありすぎて面白いですよね^_^
あと円墳や横穴墳も発見されているので、古墳時代にはこの地域にも古墳づくりが盛んだったのだと思います。
代々木八幡遺跡がまぁ知られている方でしょうか。
上の画像が代々木八幡遺跡ですね~。
奈良・平安時代は言うまでもなく、関西方面の文化が花咲いた時代。それと比べれば関東は歴史上には登場しませんよね。
渋谷のこの時代に関する史料は「ない」と言ってもいいのです(泣)
そして平安時代末期~鎌倉時代にかけて、この周辺を本境地としていた武将・渋谷氏の記録が吾妻鏡などの歴史書に残されています。
ここで「渋谷」という名前が出てきましたね!
桓武平氏秩父氏の一族から分派し、日本全国に広まった渋谷氏。
代表的な一族として相模渋谷氏は現在の神奈川県大和市・藤沢市・綾瀬市一体に勢力を伸ばしていたのと同時に、東京の渋谷区一帯も領地でした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
渋谷に坂が多い理由や渋谷の歴史・地名の由来を簡単ですが、お伝えしてきました。
◎渋谷に坂が多い理由
⇨渋谷川と宇田川の合流する地点に作られたとする「谷底の街」だから
◎渋谷の歴史や地名の由来
⇨平安末期以前までは歴史の表舞台に出てこなかった渋谷。平安末期から鎌倉時代にかけては武将・渋谷氏の名前が歴史書(吾妻鏡)にも出てきており、この一帯を領地としていた。
地名の由来としては諸説あると思いますが、渋谷はその名の通り「谷」であること。武将・渋谷氏が領地としていたこと・・・こんなことが挙げられます。
ファッションや文化の中心地である渋谷のイメージが強いので、歴史を紐解いていくとなんとも面白いものです。
なんと江戸時代には農村だったし、明治時代には牧場もあったらしいですよ^^;
今じゃ、そんなのどかなイメージは皆無ですもんね(笑)
地名の由来、知れば知るほど楽しいですね^^
今後、どこか行った先々で気になった地名は調べていきたいと思いまーす♪