お笑いコンビ爆笑問題・太田光さん
の、日本大学芸術学部への裏口入学が話題になっています。
裏口入学というからには多額の金額を積んでいるかと思いますが・・・太田さんの実家というのはそんな金額を差し出せるほど裕福な家庭だったんでしょうか?
実は太田さんのお父さんは、あることで有名だそうですが一体どんなことなのでしょうか?
実家はお金持ちなんでしょうか?
爆笑問題・太田光の父は「叙々苑」の文字を書いた人?
爆笑問題・太田光さんの父の名前は、三郎さん。
職業は建築士でした。
建築士でありながら、書道もたしなんでいたそうです。さらに、文学や落語、お笑いにも興味はあったみたいですね。
太田さんの名前「光」を付けたのは他でもない父の三郎さんですが、さすがは太田光の父。
センスが相当ぶっ飛んでいたのか、
「ライト」
と息子の光さんに名付けようとしていたみたいです。
right(正しい)
light(明るい)
という意味をかけての「ライト」だったらしいです^^;
「太田ライト」って・・・本気だったんでしょうか?
しかし、漫才師のコロムビア・トップ・ライトと名前がかぶってしまう!ということで、仕方なく「光」と名付けたようです(諦めた理由もぶっ飛んでる^^;)。
「光り輝くように」との意味合いがあったようですが、この方がよっぽど名前としては良いと思うんですがね^^;
さて、そんな太田光さんの父・三郎さんですが、先ほど書道もたしなんでいたという話をしましたが、なんとあの高級焼肉店の
叙々苑の看板と言いますか、ロゴですね。
これを書いた人だということです。
単なる趣味というわけでもなく、ちゃんと書道家としても有名だったんですね。
マスコミではなかなか取り上げられなかったことなので、これは驚きです。
私もこれを知った時はさすがに驚きましたし、なんでこんな面白い情報が流れないのかと非常に疑問でした。
自分なりに考えてみたのですが、太田光(または爆笑問題)と叙々苑のイメージがセットになって世間に広まってしまうことを避けるため、安易に報道しなかったのかな?なんてことを想像してしまいました。
叙々苑は高級焼肉店の代表格。
そして今やベテランのお笑い芸人である爆笑問題。
双方は独立したイメージとブランドを掲げているわけですから、爆笑問題を見ると叙々苑を思い出させてしまったり、叙々苑と聞くと爆笑問題を連想してしまうようではいけないですからね^^;
太田光の実家はお金持ち?
太田光さんの父・三郎さんは、1969年に東京の青山に内装会社を設立しています。
起業する方は世の中にいくらでもいるわけですが、
東京・青山
と聞くと、なかなかのやり手なお父さんであったことは間違いないでしょうね!
経営状況もよかったのか、建築業界でも業績の高い会社だったそうです。
父・三郎さんも光さんと同じく、文学・落語・お笑いに精通した今で言う「文系男子」ですが、会社経営ができるところをみると、光さんとはまた違って非常に積極的な性格だったのかな?と想像できます。
父・三郎さんが青山で起業した当時、普通のサラリーマンの年収も今に比べたら良かったはずですが、東京の一等地で起業し、経営も上手くいっていたとなると、わりと裕福だったんじゃないかなと想像できます。
建築士の傍ら、書道家としても活動していたわけですから、明らかに一般家庭の父親像とはかけ離れていますし、特殊な仕事なので、太田光さんはわりとお坊ちゃんタイプだったかもしれませんね^_^
まとめ
いかがでしたでしょうか?
爆笑問題の太田光さんの父・三郎さんが叙々苑の文字を書いた人というのは、驚き以外のなにものでもなかったですね^^;
建築士として会社経営もしていたなど、経済的にも余裕があったことがうかがえます。
仮に日本大学芸術学部への裏口入学が事実だとしたら、大学側への対価を払うことも難しいことではないかもしれませんね。
しかしながら、三郎さんはお亡くなりになっているので、本当のところが見えてきませんが^^;